娑婆電光クロスロード

 日が落ちた。ほうらごらん。わたしの名残りが散らばって、空が上等の羊羹のようにつやめくこの刹那、物の怪と人の時間とが重なり合おうぞ。人と物の怪とがだれそれともなく行き交おうぞ。人の目が尽きてしまうまでの、ほんのつかの間。
 ――しかしこの都会(まち)にはいつまで経っても宵が出来(しゅったい)せぬ。この合狭(あわさ)の時――逢魔ヶ時――を脱することなく、夜を経ずして朝が来る。
 人どもの傲慢と言うて済ますにはあまりに巨大なこの都会に、ほうれ、また、物の怪がまどうては、人と逢う。
 表は煌々とした大通り、裏は人どもの家が軒を連ねてある。そのさなかにぽつねんとある狭苦しい墓場に、きゃつはおった。石塀の上に腰をかけ、石灯籠に足をかけ、虚空を見つめておる。
 そこへ通りかかった「人」が、おまえじゃ。
 まさか何ものかがおろうとは思わなんだじゃろう、たまげたおまえが尻餅をついた。きゃつがおまえを見る。塀の上からひょいと降り、音もなく砂利を踏みしめて、きゃつがおまえに歩み寄る。おまえの胸はようようだくめいておったろう。墓場で転ぶと引きずり込まれる、などという人らの語るつまらない話さえ頭を過っておったやもしれぬ。
 差し出された手に驚いて、おまえはきゃつの顔を見た。目は合わなんだのう。きゃつは自分の手の先から、じっ、と、目を離さぬもの。
 おまえはきゃつの手をとった。引き起こされた拍子に、掌に食い込んだ砂利がはらはらと落ちた。おまえはひどく強張りながら「すみません」ときゃつに声をかけた。
 おまえは今日、朋友と出かけておった。ほほう。おまえの父母(ちちはは)はその朋友をよく思ってはおらぬのか。おまえは急いでおった。朋友と遊んで帰りが遅くなったことで、親どもの腹にあるそいつの評判が余計に落ちることを憂えておる。
 そうして選んだ近道で、おまえはきゃつと出逢(でお)うてしまった。
 のう、おまえは気づいておらんのじゃな。手前を助け起こしおったそのものが、物の怪であることに。
 そそくさと頭を下げて、おまえはまた駆け出さんとした。
「道を知っていなさるのか」
 家路を急ぐおまえに、きゃつが声をかけた。どう応えていいものか、おまえは悩んでいる。つい立ち止まってしまったことを、すでに悔いている。
「斯様(かよう)に暗い空を、如何に進みなさる」
 奇っ怪なものを見る目つきで、おまえはきゃつを見た。
「このお墓は暗がりになってますけど、そっちは大通りですし、この先は住宅街ですけど……コンビニとかも結構あって……明るいので」
 つっかえつっかえ告げたものの、おまえの胸にはまたひどいだくめき。来た道に大通りがあることもこの先に民の棲家が続くことも、見れば知れること。きゃつがわざわざ聞いたのはそういうことではないのだろう、と、おまえは不安を抱えている。きゃつを人殺しや人攫いではないかと、訝しんでおる。
 さってもさっても人どもが現(うつ)し世を憂き世なんぞと呼ぶようになったのは、そう、ほんの千年と少し前――じゃったか。殺しも拐(かどわか)しも、尽きはせぬ。
 とんと、尽きはせぬ。
「明るい……と言わっしゃるか。星の導きを映さぬこの空の下を」
 苦々しいきゃつの呟きに、おまえは「ああ」とうなずいた。
「この辺りは光害の深刻な土地だそうですから」
 そう言って、おまえはおっかなびっくり駆けていく。
 きゃつはと言えばまた塀の上。星空たりえぬ空を見る。
 行き合ってしまった人と物の怪は、ちぐはぐに言葉を交わしては、ちぐはぐのまま離れていく。
 逢魔ヶ時にまどうのは人と物の怪、いずれかだけではありゃんせん。人もまどう。物の怪もまどう。
 瞬く間の永遠のような逢魔ヶ時は、今日もようやく半分を過ぎた。きゃつらとおまえらのとまどいは、必ずやわたしが晴らしてやろう。
 物の怪どもには眠りをやろう。人どもには通力をやろう。
 互いに恐ろしい逢魔ヶ時は、いましばらく。
 わたしが東の空に顔を出すまで、いましばらく。







娑婆電光の境にて夜を偲ぶ

 日が落ちた。ほうらごらん。わたしの名残りが散らばって、空が上等の羊羹のように艶めくこの刹那、物の怪と人の時間が重なり合おう。人と物の怪とがだれそれともなく行き交おう。人の目が尽きてしまうまでの、ほんの束の間。
 ――しかしこの町にはいつまで経っても宵が出来せぬ。夜を経ずして朝が来る。
 人の子らの傲慢と言うて済ますにはあまりに巨大な町に、ほうれ、また、物の怪が惑うては、人と遇う。
 表は煌々とした大通り、裏は人の子の家が軒を連ねてある。そのさなかにぽつねんとある狭苦しい墓場に、きゃつはおった。石塀の上に腰をかけ、石灯籠に足をかけ、虚空を見つめておる。
 そこへ通りかかった人の子がおまえじゃ。
 まさか何ものかがおろうとは思わなんだじゃろう、たまげたおまえが尻餅をついた。きゃつがおまえを見る。塀の上からひょいと降り、音もなく砂利を踏みしめて、きゃつがおまえに歩み寄る。おまえの胸はようようだくめいておったろう。墓場で転ぶと引きずり込まれる、などという人らの語るつまらぬ話さえ頭を過っておったやもしれぬ。
 差し出された手に驚いて、おまえはきゃつの顔を見た。目は合わなんだのう。きゃつは自分の手の先から、じっ、と、目を離さぬもの。
 おまえはきゃつの手をとった。引き起こされた拍子に、掌に食い込んだ砂利がはらはらと落ちた。おまえはひどく強張りながら「すみません」ときゃつに声をかけた。
 おまえはきょう、朋輩(ともがら)と出かけておった。ほう。おまえの父母(ててはは)はその朋輩をおもしろう思うてはおらぬか。おまえは急いでおった。朋輩と遊んで帰りが遅くなったことで、親たちのいだくそいつの面目の落ちぶれることを憂えておる。
 そうして択んだ近道で、おまえはきゃつと出合(でお)うてしまった。
 のう、おまえは気づいておらんのか。助け起こされたその目の前のものが、物の怪であることに。
 そそくさと頭を下げて、おまえはまた駆け出さんとした。
「道を知っていなさるのか」
 家路を急ぐおまえに、きゃつが声をかけた。どう応えていいものか、おまえは悩んでいる。つい立ち止まってしまったことを、すでに悔いている。
「斯様に暗い空を、如何(いか)に進みなさる」
 奇っ怪なものを見る目つきで、おまえはきゃつを見た。
「このお墓は暗がりになってますけど、そっちは大通りですし、この先は住宅街ですけどコンビニとかも結構あって明るいので」
 つっかえつっかえ告げたものの、おまえの胸にはまたひどいだくめき。来た道に大通りがあることもこの先に民の棲家が続くことも、見れば知れること。きゃつがわざわざ聞いたのはそういうことではないのだろう、と、おまえは不安を抱えている。きゃつを人殺しや人攫いではあるまいかと、訝しんでおる。
 さってもさっても人どもが現(うつ)し世を浮世なんぞと呼ぶようになったのは、そう、ほんの千年と少し前――じゃったか。殺しも拐(かどわか)しも、尽きはせぬ。
 とんと、尽きはせぬ。
「明るい……と言わっしゃるか。星の導きを映さぬこの空の下を」
 苦々しいきゃつのつぶやきに、おまえは「ああ」とうなずいた。
「光害のひどい土地ですから」
 行き合ってしまった人と物の怪は、ちぐはぐに言葉を交わしては、ちぐはぐのまま離れてゆく。
 逢魔時に惑うのは人と物の怪、いずれかだけではありゃんせん。人も惑う。物の怪も惑う。
 瞬く間の永遠のような逢魔時は、きょうもようやく半分を過ぎた。きゃつらとおまえらの惑いは、わたしがきっと晴らしてやろう。
 物の怪どもには眠りをやろう。人どもには通力をやろう。
 怖ろしい逢魔時は、いましばらく。
 わたしが東の空に顔を出すまで、いましばらく。